2011年1月19日

海外で活躍する修了生!〜前編〜

こんにちは!

最近とってもお問合せをいただくことが多い、日本語教師養成講座

今日はその修了生インタビューの特集をしちゃいます!
なんと、盛りだくさんの2回編成!前編でございます〜。
インタビューされるのは、


   日本語教師養成総合講座

      修了生 上原 牧さん!!
  上原さんと学生
        台湾の学校で 上原さん(中央)と学生たち

上原さんは、2002年にヒューマンアカデミー那覇校の日本語教師養成講座
を修了後、
台湾で約7年、日本語教師の経験を積まれました。
現在は旦那様の仕事の関係で
シンガポール♪に住んでいらっしゃいます。

そんな上原さんから事務局に証明書類の発行依頼でご連絡をいただいたことを
きっかけに、図々しくもインタビューをお願いしたら、ご快諾いただきました!(^^)vでかした、私♪

メール等で連絡を取るたびに、上原さんの、熱くて優しくって、とっても
素晴らしいお人柄にスッタフもメロメロ大好きです、上原さん!(笑)

海外で活躍する日本語教師って、どんなでしょう?
貴重なお話をた〜くさん、お聞きしていきたいと思います。

では、さっそく、上原さんにインタビューで〜す!


Q.日本語教師に興味を持ったきっかけや理由、目的を教えて下さい。





上原さん:きっかけは、語学留学中に友達になった韓国人や台湾人に
     聞かれるまま日本語の単語を教えているうちに、私も客観的に
     日本語を見られるようになったことと、その後沖縄に帰って
     英語を使う仕事をしているうちに、日本語にますます興味を
     持つようになったことです。


Q.台湾に行かれる前、日本ではどんなお仕事をされていましたか?

原さん:基地内に住んでいるアメリカ国籍の子供たちを相手に、
     約2年半、保育士をしていました。
     その時、学校の中では当然英語なのですが、たまに
     「お弁当箱の歌」など、日本語の歌も導入していました。
     その後、日本語教育能力試験を受けるために勉強に集中
     するべく保育士を辞め、アルバイト感覚で那覇にある塾で
     小中学生相手に約半年間、英語講師をしました。


Q.その後台湾に渡ったそうですが、7年も住んでいらっしゃったん
  ですよね。台湾ではどんな就職活動をされたのですか?


上原さん:台湾へ渡る前に、ヒューマンアカデミー那覇校で日本語教師の
     資格を取るために勉強しました。在学中や修了後に、当時教え
     ていらっしゃった先生たちの授業を見に行ったり
     ボランティアで日本語を教えて経験を積みました。
     それから台湾での求人をネットで教師募集を逐一チェックして、
     応募しました。確か応募した学校は2つ目で決まりました。


Q.日本語教師として、長く続ける秘訣は何でしょうか?

上原さん:どこの国へ行っても同じかもしれませんが、教えることを楽しむ
          こと。また、自分が住んでいる国の人たちと交流を深めて
          好きになること。日本が一番と思わないこと。
     いつも日本語に対する疑問を持って、追究すること。


Q.ご自身で工夫されていたことはありますか?

上原さん:台湾は漢字圏の国なので、最後の手段で漢字を書いたら一発で
     わかってくれましたが、逆に漢字に頼らないように絵を描いたり、
     中国語の文法と何が違うのか、どうして同じ間違いをするのかが
     わかった時には、先回りして、疑問に答えたりしています。


Q.失敗されたことは何かありますか?

上原さん:漢字を書いても、逆に全然意味が違ったりして、よけい混乱
          させる、ということもありました。


Q.発見したことや、ご自身が成長したな〜と感じたことは何ですか?
 

上原さん:学生に問われる前に学生が聞きたいことが分かった時。
     始めたばかりのころは、わかりやすいように教えることで
     精いっぱいでしたが、慣れてくると自然と学生の顔を見る
     ようになりました。
     教え方がうまい先生より、先生の人柄に学生はついていく
          んだな、ということが発見でした。


Q.海外で日本語を教えていて、大変なことは何ですか?

上原さん:教室を出たら日本語を話す機会がない学生にとって、日本語を
     勉強し続けるモチベーションを保つ努力が必要です。

     少しでも「今」の日本を感じてもらうために、音楽や本などを
     常に最新情報を伝えたいですが、日本から離れているので自分が
     浦島太郎になったりします。
     学生はみんな台湾人なので、授業中に日本語だけで話させるのが
     大変でした。

     また、日本語教師の給料はどこでも大概安いです。
     はじめのうちは節約の毎日でした。
     学校によりますが、経営者とぶつかる時があります。
     学長は台湾人でしたから、なかなかこちらの言い分が
     分かってもらえませんでした。



浦島太郎に、学長先生・・・インタビューの内容から垣間見える
大変さが気になります。

どんなことで台湾人の学長先生とぶつかったのでしょうか?
この続きは次回、インタビュー後編でお伝えします!

おっ楽しみに!(^^)


aanha200 at 14:46│ Comments(0)TrackBack(0)